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    前の記事では、今のシリアの混乱に大きな影響を与えた
    先代大統領、ハーフィズ・アル=アサドの政治について見てきました。

    では、いよいよ現大統領、バッシャール・アル=アサド
    どう現在に至ったのかを見ていきましょう。

    前回も少し書きましたが、1990年代前半、若かりしバッシャール・アル=アサドは、
    ロンドンで眼科医を目指す研修医として勤務していました。

    しかし、1994年、兄のバーセルが事故死したのを受け、急遽大統領の後継者候補と
    してシリアへ呼び戻されます。

    そして、2000年、ハーフィズ・アル=アサド大統領が享年69歳で心不全で死亡すると、
    アラブで初めての世襲での大統領として政権を引き継ぎました。

    眼科研修医から大統領へ-
    そして、引き継ぐ政権は、徹底的な独裁体制の下での「警察国家」となったシリア。

    この突然のあまりにも大きな転身を余儀なくされたバッシャールは、
    この突然の運命のいたずらには困惑したに違いありません。
    ましてや、イギリスという先進国に身を置いていた彼に、突然背負うことになった
    この国の状況はどう映ったのか。。。

    2000年、バッシャールが政権を引き継ぐと「腐敗一掃キャンペーン」
    開始します。
    そう、欧州から帰った若き新大統領の目には、
    警察への賄賂なしでは何も許されないシリアの恐怖政治が異様なものに映り、
    その要因となる政治腐敗の一掃を掲げたのです。

    つまり、彼は就任当初、非常にまともな人物だったのですよ

    父親が政権を牛耳っていた当時の官僚の多くを更迭し
    汚職を払拭した上で、それまで収監されていた政治犯を釈放し、
    徹底的に弾圧してきた反政府勢力への扱いも緩和します。

    さらには、禁止されていたインターネット使用も解禁し、
    情報統制を解除しただけでなく、銀行や石油、セメント精製などの国営企業の
    民営化を進め、外資を呼び込むためにダマスカスに証券取引所を建設。

    それまでの徹底的に管理された時代にそぐわない社会主義体制に大きな
    変革をもたらします。

    この一連の民主化への彼の変革は、「ダマスカスの春」と呼ばれ、
    その時点では、バッシャール・アル=アサドは「混迷のシリアを救う救世主」への
    一歩を歩み出していたはずなのですが。。。


    父親の代から続くシリアの極めて神経質な外交関係が、それを許しませんでした。

    彼の就任翌年の2001年、あの9.11同時多発テロが勃発します。

    当時、世界の脅威となったこのイスラム過激派の中で強力なグループは
    アルカイダと、そしてあの「ムスリム同胞団」
    かつてシリアにおいて自分の父親が焼き討ちをかけたあの一派です。

    アサド政権が国内外のそういった過激派から狙われる危険性が高まり、
    バッシャールの政治は「治安の引き締め」という名目の下、
    民主化の流れから逆行し、父親の時代の独裁体制へ戻っていきます。

    さらには2003年、アメリカがイラクに侵攻し、フセイン政権が崩壊
    核の問題でイラク同様、以前から国際的に非難を浴びていたシリアにとって、
    あの強大なフセイン政権が打倒されたことは大きな脅威となりました。

    そして、フセイン政権はアサド政権と同じバース党による政権でした。
    "バース党"というものがどんな党なのか正直知らないのですが、
    同じような方向性を持った党であることは想像がつきます。

    「次は自分かもしれない」

    バッシャールは恐れます。

    そして、民主化への動きを逆行させるようになります。

    自分が解禁したはずのインターネット閲覧を再び制限。
    (たとえば、シリアではYoutubeは見られないのです。)

    さらには、言論の自由を制限。移動の自由を制限。
    シリアは再び、秘密警察が暗躍する「警察国家」に逆戻りすることになったのです。


    しかし、チュニジア、エジプト、リビアとアラブ諸国に伝播する民主化の波は、
    いくら恐怖で押さえ込んでも完全に押さえ切れるものではありません。

    2011年2月、ついにシリアでも民主化デモが始まりました。

    そして残念なことに、完全な「警察国家」に逆戻りしていたシリアでは、
    治安部隊が暴力的に民主化デモを取り締まりに掛かります。
    3月には発砲による一人目の犠牲者が発生。

    事態は泥沼化していきます。
    しかし、携帯電話の電波を遮断するなど、政府は取り締まりを強化するばかり。

    「民主化を力で押さえつければつけるほど民主化への希望の火が大きくなる」
    という当然の論理に、既にシリアの独裁政権に染まってしまっていた
    バッシャールは気づかなくなっていたのかもしれません。

    民衆は暴徒化し、政府系の建物や知事の自宅などに火をかけます。
    デモ隊もどんどん膨れ上がります。

    さすがに事態に危険を感じたアサド政権は、ようやくここにきて
    政治犯の釈放などの懐柔策を示しますが、時既に遅し。

    同じような遅すぎる懐柔策が、他の国でもあった気が。。。
    よくわかる「チュニジアのジャスミン革命」

    もうシリアのデモ隊の勢いは民主化が達成されるまで収まらないだろう、
    というところまで膨れ上がります。

    もう、アサド政権が生き残るには、弾圧しかなくなってしまいました。
    そう、かつて父親がやってきた同じ道を進むことになったわけです。

    前の記事でも書いた通り、少数派の一部の人間に権力が集中している
    今のシリアにおいて、アサド政権が倒れれば、権力者たちの全てが終わるのですから。

    しかし、かつて父親が焼き討ちで権力を保持できた時代と今は違います。

    国際的にアラブの民主化への注目は高まっており、政府による国民の殺戮は
    今や世界が見逃してくれません。

    シリア国内でのデモ隊弾圧に対し、
    アメリカのオバマ大統領が「著しく正義に反する」と非難の声明を出し、
    そしてアラブ連盟が経済制裁への最後通告を出しました。

    内戦状態に入ったシリアの顛末がどうなるかはまだわかりません。

    しかし、かつて父親が作り上げた恐怖政治から脱却し民主化を目指した男が、
    国際政治の波に翻弄され、結局、民主化の炎により窮地に追い込まれてしまった、
    というのは何とも皮肉な事実です。

    今後、この国がどうなっていくのか。
    そして窮地に立つバッシャール・アル=アサドは何を考え、どう動くのか。

    世界が注目しています。

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