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    わかりやすいアラブの話、第8弾。
    今回は、連日多くの人民の血が流され、ニュースでも話題になっているシリアについて。

    先週から今週にかけてニュースで連日、「シリア」の文字を見るようになりました。

    まず12日に、アラブ連盟が、アサド政権が反政府デモ弾圧を続けるシリアに対し、
    暴力停止を求めた連盟の調停案が実施されるまで加盟資格停止とすることを決定。

    そして17日には、「3日以内にデモ隊への武力弾圧を停止しなければ、
    アサド政権への政治・経済的な制裁を実施する。」と最後通告を行いました。

    同じアラブの国々からここまでの強硬手段を採られるまでに陥ったシリア。

    なぜシリアがこういう事態に陥ったのか。
    今回も頑張ってできるだけわかりやすく書いてみます


    まず、今、シリアという国で何が起きているのでしょうか。

    これは、簡単に書くと、
    「国の軍隊、警察がデモ隊を攻撃し、3500人を殺した」
    ということです。

    3,500人ですよ。とんでもない数です。
    それだけの数の国民を、本来国民を守るべき警察や軍隊が殺しているわけです。

    そして、それを指揮しているのがその国の大統領、ということです。

    常識で考えたら、もう訳がわかりません。
    日本で言うと、国会議事堂へのデモ行進を行うデモ隊を自衛隊や警察がバンバン
    撃ち殺すようなものです。(極端な例ですが。)

    なぜシリア政府はこんな残忍なことをするのでしょうか。
    それを考えるには、近年のシリアの歴史について少し振り返る必要があります。

    今から遡ること20年ほど、現シリア大統領・バッシャール・アル=アサドが
    ロンドンで眼科の研修医をしていた頃、当時のシリア大統領として
    独裁政権を築いていたのが、彼の父親・ハーフィズ・アル=アサドでした。

    実は、今シリアで起きているこの混乱に未だに大きな影響を与えているのが、
    その今は亡き、先代大統領・ハーフィズ・アル=アサドなのです。

    ということで、もう少しばかり
    彼の歴史について掘り下げていくことにしましょう。

    ハーフィズ・アル=アサドは、もともと山岳地帯の小さな村の出身者で、
    イスラム教シーア派の中でもごく少数分派の「アラウィ派」の一派でした。
    (※イスラム教の派の説明はややこしいので割愛します。)

    1970年、ヨルダンとの戦いにシリアが敗北した混乱に乗じて、
    アラウィ派の軍の将校たちと組んでクーデターを起こし、政権を奪取します。

    しかし、イスラム教スンニが全国民の76%を占めるシリアにとって、
    シーア派の小さな分派であるアラウィ派である彼が政権を奪取したことは、
    ただでさえ宗教間対立の起きやすいアラブにおいて、大きな不安定要素
    になることは明らか。

    そんな状況の中、ハーフィズは、多数派のスンニ派に対抗するため、
    イスラム教シーア派、キリスト教徒といった少数派を保護し自陣営に取り込む一方で、
    反政府勢力であるスンニ派、特に「ムスリム同胞団」への容赦ない弾圧を加えました。

    どれくらい容赦ないかというと。。。

    1970年代後半、ムスリム同胞団がテロ攻撃を仕掛けた報復として、彼らの拠点のある
    人口密集エリアを集中爆撃し、焼き討ちを行いました。

    その時の死者は実に4万人と言われています。
    生き残った人々もその多くが逮捕され、拷問を受けた挙句、長い間収監されます。

    こうして反政府勢力を力でねじ伏せ、完全に監視下に置いたアサド政権は、
    国民への抑圧をエスカレートさせていきました。

    アサド大統領への崇拝を強制され、情報を統制され、隣人は相互に監視させられ、
    そして秘密警察による監視を受け、国民の権利は奪われ、反対分子の芽を完全に
    摘み取られます。

    そして、彼が死ぬまでの30年間、シリアは徹底的な監視体制の下での「警察国家」
    へと変貌していきました。
    警察への賄賂なしには、何も許されない世界になったわけです。

    もう完全に恐怖政治ですね。


    それにしても、なぜそこまで徹底的な独裁政治が敷かれることになったのか。
    それはやはり、アサド大統領のアラウィ派が圧倒的に少数派だからです。

    アラウィ派はシリアの中でも相当な少数派ですが、
    世界のイスラム教全体で見れば絶対的な少数派です。
    世界的なイスラム教の勢力でも、圧倒的にスンニ派の方が上。

    そして、これまで徹底的に権力をはく奪されてきたスンニ派の人々は
    一様に現体制への不満を抱いています。

    そういった状況の中、今優遇されている警察、軍、官僚たちは、
    もしアサド政権が打倒された時、完全に立場が逆転するであろうことを知っており、
    また恐れています。

    だからこそ、徹底的にその不満分子の芽を摘まないといけなかったわけです。

    「自分に逆らう者は徹底的に弾圧する。」
    死ぬまで、これがハーフィズ・アル=アサドという人のやり方でした。

    そして、その後世襲で大統領になったのが、今のバッシャール・アル=アサド大統領。


    ここまで書いてくると、今、アサド大統領が徹底的にデモ隊を弾圧しにかかる背景も
    分かってきた気がしますね。

    しかし、かつてはロンドンで眼科医を目指していたバッシャール。
    当初から父親の独裁体制を受け継いだわけでなく、むしろ一時は民主化を目指た男です。

    彼には彼の、今に行き着いた歴史があります。

    民主化を目指したはずの彼を、何が弾圧に走らせたのか。
    次回の記事でその辺を書いてみたいと思います。

    シリア民主化を目指した男はなぜ弾圧者へと変貌したか。

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    たまたまドバイで働くことになった男の旅行記。
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    時々、ドバイの近況も載せるのでのぞいてみてください。

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